各要所における建材の老朽化に伴い今後の安全性、利便性を考慮に入れ、新築工事計画を進めています。
新年に向けて正月飾りが付きました。
前の道から「延命橋」を渡っていただくと石の参道が本堂正面まで続いており、お参りしやすくなっています。
年末年始にご参拝ください。
※この『本堂新築(のご案内)』は本年で終了させていただきます。2017年(平成29年)から5年間有り難うございました。今後は『德恩寺の風景』にて様々な変化をお伝えしたいと思います。
新しく『慈悲不動明王』が奉納されました。
本堂を新築するにあたり旧本堂の彫刻の修復や新本堂・鐘楼堂の蟇股の図案等、その他にも様々な要所でご助力いただきました絵師・片岡華陽先生の作になります。最後に住職が目を入れて完成となりました。
一般的に不動明王は左右の手にそれぞれ羂索(けんさく)と剣を持っていますが、この『慈悲不動明王』は不動根本手印(独鈷印)を組み、更に本刃の槍と縄を持つ手のみ立体的な造形となっています。
納められた場所が護摩堂の壁なので、今の鮮やかな色彩が護摩の煙によって年々変化していく様が楽しみです。
三日後の『晋山式・落慶法要』に向け新本堂前に角塔婆が立てられました。
この角塔婆が簡略化された物が一般的に墓地に立てる板塔婆と言われています。
今回の角塔婆は太さが一辺8寸(約25cm)、全長は18尺(約550cm)以上。地表から先端まで15尺(約450cm)ほどの高さがあります。
上部に結ばれている五色の布は「善の綱」といい本尊延命地蔵菩薩の右手につながっていますので、布に触れる事で仏様との結縁が果たせるとされています。
10月22日(土)の『晋山式・落慶法要』はお練りから始まります。
そこにお稚児さんとして僧侶の方々と一緒に行道してくださるお子さんの参加申し込みを受け付け中です。
良い記念になると思いますので是非ご一考下さい。
新本堂の向拝に鰐口が取り付けられました。
参拝の際には布縄を振って打ち鳴らしてください。
ガラス扉越しに正面にはお前立ちの「地蔵菩薩像」が、両脇の向かって左には「弁才天像」、右には「聖観世音菩薩像」が安置されています。
「弁才天像」は古くから日野の河川を守り、かつてこの地にあった大池のほとりに祀られていた神像と繋がりを持ち、「観音像」は東国八十八カ所霊場と金澤三十四観音霊場の御本尊です。
新本堂の建築中に修復していただいた御像が再び安置されました。
上から「阿弥陀如来像」「薬師如来像」「弘法大師像」です。
修復の際、それぞれの胸板内側に文字が記されており「阿弥陀如来像」の筆が比較的読みやすく残っていました。
「阿弥陀如来像」三枚目の画像、一行目に「日野」「七世」「住」の文字から当寺住職七世光祐を示しているように思えますが、光祐は文明12(1480)年3月11日(室町時代)に入寂しており、中心に書かれている和元号「寛永(1624〜1644)」(江戸時代・徳川家光の頃)とはかなりのズレがあります。
ちなみに寛永元年の天皇は第108代後水尾天皇ですが、一代前(107代)は後陽成天皇で追号(死後におくられた称号)は後陽成院でした。
左上部に記されている「百八代後陽城院」の文字と繋がりがあるのかないのか、色々と想像が膨らみます。
「薬師如来像」の内側、左上部の文字は「貞享(1684〜1688)」でしょうか? だとすればこちらも江戸時代(徳川綱吉の頃)330余年前の作となります。